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GROUP STUDY EXCHANGE ROTARY DISTRICT 2650

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GSEご報告案内

一番近いヨーロッパ、フィンランドにて

中西薪子(京都民際日本語学校)

I.はじまり

忘れもしない2007年8月のある日、日本語学校で授業を終え、一息ついていたときに事務局長が・・・「いい話があるんですよ。フィンランドへ行けるんですよ!フィンランド・・・いいですね〜!!」これが始まりのことばでした。

よく聞けば、出発するのは翌年4月から5月にかけて、期間は1ヶ月。4月といえば日本語学校に新入生が入ってくる一年でも一番大変な時期に、同僚に迷惑をかけると重々承知しながらも、「はい、行きます」と答えたのは、この仕事を始めて9年の月日が経ち、以前のような情熱や向上心を失いつつあることを自分でも気がついていたからだと思います。

面接の場で初めて仲間となる他のメンバーの方たちと知り合い、半年にわたる研修で共に準備を行ってきました。そして、4月8日に日本を発ち、一か月間フィンランドで仲間たちと過ごしました。

そこで私は素晴らしい体験をしたのです。その貴重な体験をここで報告させていただいて、今後のこの素晴らしいプログラムであるGSEの発展と、私自身の成長につながれば、こんなに嬉しいことはないと思っています。

II.目的

GSE団員としてフィンランドへ行くにあたり、最も重要視しなければいけないのは、その目的だと思います。そこで私自身の目的として3つ考えました。

1.フィンランドにおける外国語教育の現場を知る
近年、フィンランドの教育システム、その高い外国語能力が世界中で話題になっています。その教育現場から何かを得て、私が日本で外国の方に行っている日本語教育の新しいアプローチを見出したいと思いました。
2.フィンランドでの日本語教育の現場を知る
首都ヘルシンキでは大学で主専攻として日本語教育が行われていますが、北フィンランドでどこまで日本語や日本の文化が取り入れられているのかを知り、日本で行われているものと比較したいと思いました。
3.国際感覚を身につけ、人間的にも成長する
私は職業上、日本で生活をしている外国の方たちと多く接してきました。言葉もままならない外国で、一人で生活をすることの大変さは頭ではわかっているつもりでも、実際に体験しなければ彼らのつらさは本当には理解できないと思いました。そしてそこから得られるものの大きさ、真の国際交流とはどういうものなのかを知りたいと思いました。

以上の3つの目的をすべて果たせるとは思っていませんでしたが、常に頭に置いて、研修に参加しようと思っていました。・・・が、時にはすべてを忘れて楽しんでいましたが。

III.受入国、町の紹介

私たちが向かったフィンランド1400地区はフィンランドの北部、主にラップランドと呼ばれる地域です。季節は春。4月から5月にかけて気温は−3℃から17℃と変化し、雪や湖の氷が溶け始める頃です。関西空港からヘルシンキへ。そこから国内線で一番目の目的地オウルへと向かい、私たちの旅は始まったのです。再びオウルへと戻るまで、実に9箇所もの町を訪れました。ここでは簡単にその町を紹介したいと思います。

Oulu(オウル)<4/8〜12,4/30〜5/5滞在>
人口13万人で、フィンランドで6番目に大きく、北フィンランドの首都とも呼ばれている都市です。タールの産地で、Nokia(ノキア)やPolar(ポーラー)などのハイテク産業で有名です。白樺が美しく、マーケットではショッピングを楽しむことができました。8日に来たときは一面真っ白で川も湖もすべて凍っていたのに、3週間後にはすっかり雪も溶けてしまって暑いくらいでした。

Kemi(ケミ)<4/12〜13滞在>スウェーデンとの国境になっているボスニア湾に位置する小さな港町です。人口は約2万2千人くらいで、製紙業がさかんです。この町では世界で唯一の観光用砕氷船SAMPO(サンポ)号で氷解クルーズができるのです。
Tornio(トルニオ)<4/13〜14滞在>
スウェーデンとの国境に位置する小さな町で、人口は約2万3千人です。ここにはフィンランドとスウェーデンとの国境にまたがっているゴルフ場があるんですよ。この町は鉄鋼業がさかんです。美しいトルニオ教会日本でも有名なIKEA(イケア)ここはすでにスウェーデン領です。

Pello(ペロ)<4/14〜16滞在>
ここもスウェーデンとの国境の小さな町です。この町で、ついに北極圏を越えました。ここには古いログハウス工場と陶器の工場がありました。
Rovaniemi(ロバニエミ)<4/16〜19,4/24〜25滞在>
ペロから東へ100キロメートルほどに位置する、一年中サンタクロースに会えることで有名な町です。人口は約6万人と、そんなに大きい町ではないのですが、空港があり、東京から直行便が出ています。ホテルが多く、比較的新しい建物が多い観光地です。サンタ村ではサンタクロースが私たちを待っていました。

Sodankyla(ソダンキュラ)<4/19〜21滞在>
人口約7000人の小さい北極圏の町です。本当に人も家も車も少ない町です。しかし、ここにはオーロラの研究所があり、「オーロラ・コタ」と呼ばれる小屋の中でオーロラについての解説を聞くことができます。
Ivalo(イヴァロ)<4/21〜24滞在>
フィンランド最北端の空港がある町で人口は約4000人ほど。この町ではスキーやスノーモバイルなどを楽しむことができます。ここでようやくトナカイとのご対面を果たしました。

Kemijarvi(ケミヤルビ)<4/25〜27滞在>
海沿いの小さな町で、人も車も少ないです。ただし、夜になると若者たちのカーレースが始まります。ただ町をぐるぐる回っているだけなのですが・・。町の人たちによると「免許をとったばかりの若者たちが親の車で練習をしている」と。また、ここではトナカイやハスキー犬のそりを楽しむことができます。

Kuusamo(クーサモ)<4/27〜30滞在>
ロシア国境に接している町で、人口は約1万7千人のスキーリゾート地です。中でもRuka(ルカ)スキー場は世界でも有名で、超一流の施設を整えているとのことで多くの観光客で賑わっています。

以上が私たちが訪れた北フィンランドの町ですが、どこへ行っても共通しているのが美しい自然に囲まれた静かな町だということです。フィンランド自体が人口500万人と、日本とは比較できないほど少ないのですが、ラップランドは特に人も車も少なく、建物も低く、ログハウスなど素敵な家がよく見られました。

IV.教育

フィンランドの教育システムが世界中で注目されている要因のひとつは、2004年12月OECD(経済協力開発機構)が実施したPISA(学習到達度調査)においてフィンランドがすべての分野(読解力、数学的リテラシー、科学的リテラシー)で好成績をおさめたことにあります。

それに比べ、日本は数学リテラシーは前回の1位から6位と下がり、読解力にいたっては8位から14位へと転落してしまいました。PISAが調査するのは義務教育の成果、何を覚えたかではなく、社会でそれが使えるようになっているかどうかということです。

すなわち、「学力」とは覚えた能力を将来使えるようになっているかどうかということで、個人グループで紙面上で発揮されるものではないという考え方なのです。日本の教育と大きく異なる点だと私は感じました。

[1]教育システム
フィンランドでは6歳からPre-primaryschoolというのがあり、7歳から16歳まで総合学校(Basicschool)で基礎教育を受けます。Pre-primaryschoolの入学は義務付けられてはいませんが、96%がPre-primaryschoolへ行っています。

総合学校は8月中旬から6月初めまで、年間190日。授業時間は週19〜30時間で、1〜2年は1日に最大5時間、3年からは最大で7時間というのもあります。

このように決して授業時間は多いわけではありません。興味深いのはクラスごとにタイムスケジュールが違うことです。各クラスの担任が時間を決めることができるのです。昼ごはんもクラスによって時間が違いますし、帰宅する時間もクラスによって異なります。

外国語教育は総合学校3年生から始まります。第一外国語として英語を学ぶことが多いようです。7年生になると第二外国語として母語以外の公用語(スウェーデン語)を学びます。

この2カ国語は必要最低限で、学校によってはさらに多くの言語を学ぶことができます。総合学校を卒業すると、自由選択で3〜4年制の高等学校か2〜5年制の職業専門学校を選びます。

大学はすべて国立で通常、3年で学士修得を、2年で修士修得を目指します。フィンランドでは大学卒業とは修士を意味するそうです。

[2]環境
私はオウル大学、ラップランド大学、教員訓練学校、総合学校(ロバニエミ、イヴァロ)を見学させていただきました。総合学校では実際に3年生の英語の授業や音楽の授業に入らせてもらいました。その時に感じたことは、学校全体が非常にゆったりとリラックスした雰囲気であるということです。

校内は色彩的にも美しく、優しい感じをかもし出しています。総合学校では一クラス15〜20人ほどの少人数制で、担任の先生のほかにアシスタントの先生がクラスに入っていました。またすべての学費、教科書、教材費、食費、通学にかかる費用などは無料です。ですので、すべての子供たちが平等に、また健康的に教育を受けられ、優秀であれば大学へ行けるのです。

本は借りてくるものという考え方で、どの教育機関でも図書館は非常に充実していましたし、町を移動図書館が走っています。また、日本にあるような全国模試や受験、塾はありません。競争、優劣は排除され、子供に学校をあわせているという印象を持ちました。

もし、ある子供に苦手な科目があれば、特別な授業を施し、引き上げる姿勢を常にとられていました。教室にある設備はかなり充実しており、実際の社会で早く独立できるようにとの配慮からだそうです。ある先生が「フィンランドは人口が少ないので、一人の子供も無駄にはできないんですよ。」と仰っていたのが印象的でした。子供は国家の財産なんですね。

[3]教師
フィンランドの先生は非常に優秀です。フィンランドで教師という職業はその専門性を高く評価され、憧れの職業とされています。優秀であるがゆえに、その教育カリキュラムを学校側からすべてまかされ、行政も親も先生を尊敬しているのです。

教師はすべて教育学の修士号を有し、世界でも珍しい大学付属のTeachertrainingschool(教員訓練学校)で研修を受けなければなりません。

1年目は教具の使い方から学び、2年目には一つの目的をもって、どういったカリキュラムをつくるかの計画、実践、3年目にはすべての授業を教えます。

授業後は必ず会議、反省を行い、次の日には修正を行います。大学からの視察もあります。教師は常に少なくても質のよい授業を心がけ、特に子供の両親とのコミュニケーションを重要視しているそうです。

イヴァロの総合学校である先生は「緊張せず、リラックスした雰囲気で勉強するのが一番ですよ。忍耐強くないといけませんけどね。」と明るい笑顔で話してくれました。「忍耐強さ」は万国共通ですね・・・。

V.フィンランドでの日本、日本語

私は今まで日本でフィンランドの人に日本語を教えたことはありません。「高い語学力で有名なフィンランドで日本語教育は行われているのかな? いや、それよりも北極圏の国で極東のアジアの国、日本はどこまで知られているのかな?? いやいや、そもそもラップランドに日本人はいるの??」これが私がフィンランドへ行くことが決まったときに湧き出た疑問です。

実際、北フィンランドへ行ってみると、どの町でも自分たちがマイノリティーであることを痛感しました。ペロの町で笑顔で渡されたチョコレートの名前は・・・「GEISYA」。わりとお土産として、人気があるチョコレートらしいのですが、「日本=ゲイシャ」と思っているのでしょうか。

そこで、出会った人たちに聞いてみると、日本へ行ったことがある人は少なく、仕事関係で東京へ行くぐらいで、私たちの地区についてはあまり知らない人が多かったです。

町には中華料理の店はあるのですが、日本料理の店はほとんどなく、オウルのマーケットに「寿司バー」があるだけでした。日本酒はデパートにはありましたが、かなり高価で(日本では料理用に使うようなものまで)、どうも日本食はヘルシーだが、高いというイメージがあるようです。

「日本ではよく家で寿司「にぎり」を作るんでしょう?」この質問には戸惑いました・・。手巻き寿司なら・・・。オウルではオウル大学で日本語を教えていらっしゃる先生と、文化センターのようなところで日本語の授業をなさっている先生とお話しする機会に恵まれました。

お二人のお話では、最近13歳から15歳くらいの子供たちが日本語を勉強し、他では勉強できないので、大学や文化センターの夜のコースなどにやってくるようになったとのことです。

その理由は日本の「マンガ」「アニメ」そして「Jポップ」の影響です。インターネットを通して、5〜6年前から人気が出てきたようです。実際、どのスーパーでも日本のマンガが売られていましたし、イヴァロの総合学校の3年生の授業では私たち日本人が授業にやってくると前もって子供たちに知らせてあったようで、授業中に「日本人と話そう」という時間を設けてくれていました。

そこで、子供たちの英語力にも驚かされたのですが、もっと驚いたことは・・・「はじめまして」と流暢な日本語がある少女の口から発されたのです。3人のグループのその少女たちは大の日本ファンらしく、私たちを待ち構えていたようでした。

彼女たちの質問はほとんどが「Jポップ」について。「アンカフェを知っていますか?」「・・・・・・アンカフェ??(それは何・・・)」言葉の違いではなく、世代の違いで彼女たちの質問に全く答えられない私たち日本人でした。

そんな私たちに彼女たちは自分たちが書いた日本のマンガの絵をプレゼントしてくれました。私たちの名前を漢字で書くと、驚嘆の声をあげ、一生懸命ノートに書いていた子、自分の知っている漢字を私たちにうれしそうに書いて見せてくれた子を見ていると、確かにこの北の地に日本、日本語が存在しているのだと感じました。

日本を知りたいと思うことが日本語の勉強を始める第一歩なのだと改めて気づかされました。

VI.社会、文化、習慣

フィンランドでは数え切れないくらい握手を交わしました。必ず全員と握手します。それではそんなに友好的なのかと思えば、そうでもありません。北の地ではあまり見ないであろう私たち日本人を見ても遠巻きにチラッと見ているだけ。

あまり関心がないのかと思えば、ずーっとこちらを見ていたり。ホームステイ先でも、初めはお互いに話題を一生懸命探すのですが、慣れてくると沈黙・・・。最初は戸惑いましたが、フィンランドの人にとって沈黙は決して苦ではないそうです。

日本人とフィンランド人は性格が似ていると言われます。ですが、その寡黙な外見とはうらはらに、内には強烈な独立心が宿っています。「独立国」であることが最大の誇りであり、子供をできるだけ早く「独立」させることが親の務めだそうです。

実際、男性であれば16歳で家を出ることも珍しくないそうです。「貧しくても独立している」これこそ、フィンランドが最も重要視していることなのです。

独立心が強いからこそ、自由を好み、誰かにコントロールされることを嫌います。ここが日本人と違うところだと思います。初めの頃、私はフィンランドでよくこう訪ねました。「明日はどこへ行くんですか? 何をするんですか? 何時にどこに集まるんですか?」日本でならスケジュールがすべて決まっており、私たちはすべて把握していることでしょう。そして、把握していることで安心するのでしょう。

ですが、フィンランドでは「明日、言いますよ。何をそんなに急いでいるの? 明日は必ず来るのに」もしくは、突然の予定変更で「こちらのほうがいいと思ったら、すぐ変更するのがフィンランド流なんですよ」日本とはなんて違うのだろうと思いました。そして、次第にその考え方が心地よく思えてきました。

フィンランドでは英語がほとんどの地域で通じます。英語どころか5カ国語話せる人もいます。フィンランド語、スウェーデン語、英語、ロシア語、ドイツ語・・・日本では考えられないことだと思います。

早くから外国語教育が始まるからということもありますが、フィンランドのテレビ番組は外国語の場合、すべて字幕で、日本のような吹き替えはありません。このことによって小さいときから英語を耳にし、自然に発音や表現を覚え、また字幕を読むことで「読解力」が養われるのだとフィンランドの人は口をそろえて言います。また、大学レベルの人たちは留学するか、国際企業で働くことが多いので、様々な言語が話せることが必須のようです。

ご存知の通り、フィンランドの人口は約500万人。とにかく人が少ないというのが私の印象でした。そのせいか、人も車もゆっくりしています。日本のように信号が赤になるからと走る人は誰もいませんし、人や自転車が通ろうとすると、必ずといっていいほど車は道を譲ってくれました。

そして、どこへ行ってもサウナとコーヒーブレイク。本当にこの1ヶ月、コーヒーを何杯飲んだかわからないくらい飲みました。そして甘いお菓子やパンが一緒についてきます。おいしいので、初めのうちは何も考えず食べていて、たった10日で2キロも太ってしまいました。

また、フィンランドへ行く前に、日本の新聞で「サウナは聖域だ」という記事を読んだのですが、確かにその通りだと感じずにはいられませんでした。ホームステイ先では必ずサウナを勧められました。そして、それが最高のおもてなしだそうです。

ですが、決してフィンランドの人も毎日サウナに入るわけではありません。週に一度、サウナを家族で楽しみ、別荘を持っている人は週末に別荘へ行き、自然を楽しみながら、サウナとビールを楽しむのだそうです。そして、時には湖や川、海にポチャーン・・・。

VII.例会

私たちがフィンランドへ赴く前日まで半年に渡って準備してきたプレゼンテーション。それを発表する場が例会です。そして、お互いの地区ロータリーのバナー交換。

大事な私たちの使命でした。それゆえ、一番最初の例会での緊張は今でも忘れられません。オウルで2回、イヴァロ、ロバニエミと計4回、ロータリーの例会に出席しました。

私たちの緊張とはうらはらに例会は常に和やかな雰囲気で、食事やコーヒーを楽しみ、私たちに親しげに話しかけてくれました。

リラックスした雰囲気の中、私たちのプレゼンテーションは始まりました。時間は30分で、各自の自己紹介と地区紹介をしました。回をこなす毎に、長すぎてだれてしまうところは削ったり、興味深く聞いてくれているところはさらに詳しく説明したりと、改良を加えていきました。

これで少しでも「京都、奈良、福井、滋賀」に興味を持っていただいて、行ってみようと思ってくださればと思いました。最後にフィンランドの国歌をフィンランド語と日本語で歌いました。ロータリーの皆さんも立ち上がって一緒に歌ってくださいました。

VIII.ホームステイ

1ヶ月の間の滞在先はホームステイ、ホテル、ゲストハウス、コテージと様々でしたが、やはり忘れられないのはホストファミリーとのひとときでした。

しかし、フィンランドへ出発することが決まってから、私の心を悩ませていたのは実はホームステイでした。というのは、私はかなりの人見知りだからです。

英語もあまり自信がない上に、文化も習慣も違う外国のご家族と一緒に過ごすということを考えただけで、不安がつのりました。「失礼なことをしたらどうしよう、英語が通じなかったらどうしよう・・・」と。ですが、それらはすべて杞憂だったといえるぐらい、私はどこの家庭でも温かく迎えられたのです。

フィンランドへ到着した初日にオウル空港で見せてくださったホストファミリーの笑顔に私の緊張は一瞬のうちに解けてしまいました。ケミ、トルニオでは一泊しかできなかったのですが、用意してくださった部屋に私をとても歓迎してくれていることが感じられました。

ロバニエミではお忙しい中、常に「何か問題はないですか? 自分の家だと思って、何でも自由に使ってください」と私を気遣ってくださいました。二度目にオウルでお世話になったホストファミリーの奥様はなんと日本の方でした。私にオウルに住む日本の方や、オウルで日本語を教えていらっしゃる先生を家に招待して、私に紹介してくださいました。

研修の間、5つのホストファミリーのお世話になり、忘れられない体験をすることができました。本当に感謝しています。

フィンランドでは英語が通じるといってもお互い母語ではないのですから、言いたいことがうまく言えなかったり、ことばが出てこなかったりとお互いに歯がゆい思いは確かにしましたが、そんなことはたいした問題ではありませんでした。

わからなくても私たちは決してそこでコミュニケーションをやめなかったからです。たとえ時間がかかっても、お互いわかりあえるまでいろんな方法を使って、私たちはお互いを知っていきました。小さい、でも確かな「国際交流」でした。

IX.まとめ、今後の課題

フィンランドに1ヶ月滞在し、多くのフィンランドの方々と知り合い、自分の目でフィンランドという国を見ることで、私は自国である日本、日本人を見つめなおしたいという気持ちがありました。

フィンランドの高い外国語能力、教育システム、様々な産業、文化・・・それらに感心し、日本との違いを感じる一方で、私は日本の優れているところ、日本人のすばらしい資質をも感じることができました。そして、こういったものはすべてその国をとりまく環境によるものなのだと改めて思いました。

ですから、フィンランドのすばらしい部分をそのまま日本に取り入れることは難しいでしょう。ただ、今までのやり方に何の疑問も持たず、向上心も持たず続けることはできないと思いました。

この貴重な体験をどうにかして活かせる方法を考えていきたいです。また、今回の研修で心から思ったのは「人は一人では生きていけない」ということでした。ホストの方々はもちろん、通りがかりの人や、そして何よりチームメンバーが私を助けてくれました。それはドアを開けてくれたり、重いスーツケースを持ってくれたりなど、些細なことかもしれませんが、本当に嬉しかったのです。

また、「笑顔」の力のすごさにも驚かされました。相手が「笑顔」を見せてくれるだけで、ただそれだけで私はこの異国の地で心から安心することができました。月並みで簡単に思えるこの二つのことですが、私は今回の研修でそれが何より人との付き合いで大切なことなのだとわかりました。

そして、日本での忙しい毎日では、ともすれば忘れがちになっていたと気付きました。私の仕事では特にそれが大切なことなのですから。

今回、フィンランドで受けた多大な厚意を直接その相手に返すことは難しくても、何らかの形で、私ができる方法で返せばいいと、チームメンバーの一人が言ってくれたことも印象深かかったです。

最後になりましたが、私にこのような一生にあるかないかの素晴らしい体験をさせてくださり、自国について、また自分自身についてじっくり考えさせる時間を与えてくださったすべての方々に心から感謝いたします。

今後もこのGSEの活動がさらに発展していくことを願い、以上を私の報告とさせていただきます。



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